1969年7月、アポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げて、世界中が沸き立った年の大晦日 . . . あと1日で1970年代という日に、大黒摩季は札幌に生まれた。
翌年には、70年安保闘争が繰り広げられたり、作家・三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊でクーデターを起こし割腹自殺を図ったりという、昭和の激動の時代に生まれたわけである。
それでも、両親の愛情の中、3歳でクラシック・ピアノを習い始め、音楽に目覚めたという。商売を営みいつも忙しく騒がしい癒しとは無縁な精肉店の娘だった母親が、OL時代東京のホールで観た、アメリカのクラシックピアノ奏者ヴァン・クライバーンにとても感動し、いつか結婚して女の子が生まれたらクラシックピアノをやらせたい、という無邪気な夢で、3歳の誕生日にリカちゃん人形ではなくアップライトのピアノが届いたそうだ。半ば強制的に始めたピアノだったが、内向的だった大黒は外で子供達と遊ぶよりいつしか、ピアノがおもちゃとなったそうだ。このクラシックの音楽観は、大黒摩季本人が言うように、以降の作曲やアレンジ面で大きな影響を与えることになる。
1976年、札幌市立石山小学校に入学し、やがてTVやラジオで流れるアニメソングやポップス、ニューミュージックといった音楽に影響を受け、続けて来たピアノを武器にヒット曲をコピーして弾き語りをしたり . . . すでにこの頃から作曲なども始めていた。
その後、北海道でもお嬢さん学校として有名な中高一貫教育の私立藤女子中学校・高等学校へ入学し、高校卒業までの6年間は、彼女の音楽の基盤となったロック、ブラックミュージックはもとより、パンク、フォークまで洋楽邦楽を問わずあらゆるジャンルの音楽を吸収し、やがてはコピーだけでなくオリジナル楽曲を制作、校則の厳しい学校には内緒でバンドを結成、そしてライブ活動に熱中するようになる。
札幌のライブハウスはベッシーホールなど至るところに出演し、時には父親の声がけですすきののキャバレーなどにも出演、停学処分になるなども経験したという。
この「ベッシーホール」は、2016年、病気療養からの復帰を自分の原点である札幌からスタートしたいという大黒摩季の想いのもと、世の中へのお披露目となる「ライジングサン・ロック・フェスティバル」への出演の前々日にファンクラブ会員に向けたライブを開催した、それだけ思入れのあるライブハウスでもある。
一方で、クラシックの声楽・作曲を学ぶために音楽大学進学を目指し、そのための音楽教育を受けたりもするが、家業である製パン会社の跡取りである弟に4年生大学進学を譲り、短大へ行くくらいならば!クラシックは今じゃなくても出来るからと結局、高校卒業後は日本のポップス界でプロを目指すことを選ぶ。高校卒業と同時に、プロを目指して上京することを決意、当時のバンドと共に制作したデモテープ、「STOP MOTION」(いずれデビュー曲となった)、アップテンポROCKの「 MAGYの夢 」(後に、「MAGGY‘92」として発表)、ロッカバラードの「Just For You」の三曲を、自身が音楽Bagと呼んでいた小さなトランクに入れて、敬愛するマリリン・モンローの誕生日である1988年6月1日に札幌を後にする。
上京後は、有線などで音楽がよくかかるスーパーやカフェ、Barなどでバイトをしながら、レコード会社のオーディションに出すためのデモ・テープ制作に取り組む。そしていくつかのレコード会社に様々なデモテープを送るうち、ソニーの新人開発部門SDオーディションとビーイングのBADオーディションに合格するが、面接の中で「今の君には興味ないが、面白いものは持っていると思う。バックコーラスや制作を学びながら一緒にやってみないか。」という長戸大幸プロデューサーの言葉に心が動き、ビーイングと契約することになる。
ただ、ビーイングに所属し山ほどのデモ楽曲を作るもなかなかデビューに至らず、CM音楽の制作・歌唱・バックコーラスなどの音楽活動をしながら生活する日々が続き、さらにはコーラス・ミュージシャンとしてTUBE・春畑道哉のソロ・ツアーに参加したのをきっかけに、同じビーイングのB’zやTUBE、織田哲郎、ZARDといったアーティストのスタジオ・コーラスとしてレコーディングに参加するようになる。
所属後3年ほどが経ち、大黒摩季自身も先の見えない日々に煮詰まりながらも、何とか活路を見出そうとしていた中、ビーイングの大森絹子がボーカルを務めるSILKというアーティストに提供した「STOP MOTION」を長戸プロデューサーが聞き、勉強のために渡米していた先から急遽呼び戻され、結果的に大黒摩季自身が「STOP MOTION」を歌い、デビューすることになる。1992年の5月27日のことである。
ただ、この作品自体はさほど売れず、次作をどうしようかと考えていた折、デビュー前の仕事で知り合ったCM音楽プロデューサーとビーイングの玄関でたまたま出くわす。作品がなくて困っているという話を聞き、お世話になっていた人なのでここは恩返しだ!とその日のうちに「DA KA RA」の曲デモを仕上げ提出するが、それが「マルちゃんホットヌードル」のCMソングに決まり、放送後には問い合わせが殺到、再び急にシングルをリリースするやミリオンヒットを記録する作品となる。また、年末には日本レコード大賞の新人賞も受賞する。
このことを大黒摩季自身、今でも「落とし物には福がある!」と言っている。
以降、「チョット」「別れましょう私から消えましょうあなたから」「Harlem Night」などヒットを連発、1993年TVアニメ「スラムダンク」のオープニング・テーマとしてリリースした「あなただけ見つめてる」や1995年TVドラマ「味いちもんめ」の主題歌となった「ら・ら・ら」はミリオン・ヒットを記録、今だカラオケでも老若男女に歌われる90年代J-POPのスタンダードとなっている。
また、1995年年末にリリースしたベスト・アルバム「BACK BEATs #1」は300万枚を超えるセールスとなり、90年代を代表する女性アーティストとしてその地位を不動のものにすることになる。
当然、これらのヒットでテレビ局から音楽番組出演のオファーが多数寄せられたが、事務所と話した結果、制作に専念していくためにテレビ出演は辞退していこうということで話がまとまり、テレビ出演は一切なかった。
そのため、「大黒摩季というアーティストは実在せず、歌担当、ビジュアル担当が別々にいる」とか、「ニューヨークに住んでいて音楽活動する時だけ来日する」など、大黒摩季の存在が都市伝説化したのである。
その大黒摩季が、初めて生の姿、そしてテレビの画面に登場したのは、1997年8月1日。有明レインボースクエアに47,000人の観客を集め開催されたライブになる。当日は、テレビ朝日「ミュージックステーション」の生中継も入り、初ライブと初テレビ出演を同時に果たしたことになる。
1年の休業期間を経て、2001年、活動再開にあたって大黒摩季は大きな転機を迎えることになる。レコード会社を移籍、そして自ら立ち上げた個人事務所設立と、あらゆる環境を一新して活動を再開するという新たな挑戦の道を選択したのである。
当然、大きな事務所と違って、プロモーション力や組織力は劣ることで、ここからセールス的にはしばらく苦しい時代が続くことになる。それでも、持ち前のポジティブThinkingで、「ならば今こそお客様に近いところで、地道に色んな場所で歌えばいい。」「どんなに苦しくてもクリエイティブのクォリティだけは妥協しない!」という意志だけはブレることなく、作品作り・発表、そして全国ツアーを積極的に続けていく。ここからが大黒摩季第2期と言えるだろう。本人曰く第1期が光輝いたもので第2期は影、実り多き「地底探索時代」と呼んでいる。
2004年には、個人事務所だからこそ出来る、洋楽邦楽問わず名曲を単なるカヴァーではなく完全コピーするという遊び心溢れる異色のバンド“大黒摩季とフレンズ”を結成。
武部聡志(Keyboard)・土屋公平(Guitar)・恩田快人(Bass)・真矢(Drums)と共に「COPY BAND GENERATION VOL.1」をリリースし、さらにライブ「大黒摩季とフレンズ ONE NIGHT STAND」を開催し、大黒摩季というアーティストの枠をさらに拡げることに挑んだりもした。
しかしながら、1990年代後半から抱えていた子宮疾患の病状が次第に悪化し、歌うことにも支障を来すようになる。薬を使いながらの活動は女性疾患系の病気なだけに、ホルモン等への影響が出て、次第に声帯や筋肉へも悪影響を及ぼし、責任感と理想そして体の異変との狭間でメンタル的にも不安定を起こすなど、悪循環を繰り返す日々が続くこととなる。
結果、2010年8月、病気療養に専念するために、10月末で一切の活動を無期限で休止することを発表し、10月29日のファンイベントを最後に表舞台から姿を消す。
活動休止後は、子宮疾患の治療、不妊治療を軸に、障害を抱える母親の介護、そして主婦として家事など普通の生活パターンを繰り返しながら、毎日を過ごしていくことになる。
そんな中、活動休止して半年後に起こった東日本大震災は、大黒摩季にとっても大きな衝撃を与えた。いてもたってもいられなくなった大黒摩季は、日本赤十字のボランティアに志願して、藤原紀香さんとともに被災地支援に向かったり、2012年には福島県須賀川市立第一小学校応援ソング「希望のうた ~カワセミのように~」の作詞を手掛けたりする。
被災者からの「ら・ら・ら」を歌って欲しいという願いに応えたところ、「頑張れ!」という形のない言葉より、歌を一緒にうたうことで人々の表情が明るくなり、ほんとに励ましになっていることに気付き、音楽の力を改めて噛みしめることになる。
病気療養の方は、活動休止後に手術するなど積極的に取り組むものの一進一退の状況が続き、2015年自らの覚悟のもと子宮全摘出手術に臨むことを決意する。
2015年11月、2度目の手術は無事に成功。同時に、アーティスト活動の再開も意識するようになる。
そして、迎えた2016年 . . . 大黒摩季にとっての音楽人生、第3期がスタートする。
6年という時間の中で衰えた体力、喉、感覚を呼び戻すためのリハビリとトレーニングの日々が始まる。同時に、スタートにあたって意識したのは、自らの原点回帰。
ひとつには、音楽を学び、吸収し巣立った北海道から活動を開始したいということ。そして、デビューした時の環境 . . . 当時、所属していたビーイングに戻って、活動のベースを再構築したいということ。
結果、それぞれが叶って、ついに2016年8月13日、北海道最大のロック・フェス「ライジングサン・ロック・フェスティバル」のステージで、約8,000人の観客を前にして立つことになる。6年ぶりのステージである。
その後、10月には復帰後初となるソロ・ライブを同じ札幌のニトリ文化ホールで開催、チケットは早くからソールドアウトとなり、復帰を待ち望んでいたファンに最高のステージを披露した。
さらに、11月には、デビューから今までいくつかのレコード会社を経てきた中で発表してきたシングルをすべて網羅したベスト・アルバム「Greatest Hits 1991-2017 ~All Singles+~」をリリースし、過去における自らの財産の集大成を図るのである。
そして、復帰後、大黒摩季の第3の音楽人生スタートはさらなる展開へと繋がる。
今年に入って、「主婦や介護をしていると、家を空けられても三時間。大きな会場に泊まりで出向くなんて不可能だから、復帰のご挨拶は私が出向かないと!」そんな気持ちのままに、全国47都道府県ツアーを開始させるのである。2月に始まり、途中25周年を迎えながら、その終了となる2018年5月までにすべての都道府県を回るというものである。2度3度の開催となる地区もあり、終了までに70本近いライブが予定されているという。ツアーのテーマは、「中年よ!熱くなれ」。復帰後初の作品となった「Higher↗︎↗︎Higher↗︎↗︎」でも歌われているこのテーマは、活動休止中に普通の生活を送る中で、そして休業しても唯一続けてきた音楽学校の講師をして感じた「今の世の中が元気がないのは、若者のせいじゃない。彼らが熱くなるだけの憧れられるような姿を大人が見せられていないから。だからまず、中年が熱くならなきゃね!」ということを全国に鼓舞していきたいという思いが詰まっている。
25年と言う年月の中には、様々な岐路があり、それぞれに山あり谷あり、人との出会い別れがあり、いくつもの困難があったかと思う。それをひとつひとつ乗り越え、やり続けて来た人だけが “25周年”という言葉が使える。と同時に、そこからまたいくつもの困難が始まるのかもしれない。しかし、きっと彼女はまたその中で自分にしか書けない歌詞、音楽を紡ぎ、歌い、「私も大黒摩季のファンですよ(笑)。傷つくのは怖くない、出来てくる音が楽しみだから。」と笑いながら、その行く先を自分自身が誰より楽しみにしているように見える。
大黒摩季 . . . 30周年、50周年を共に楽しみにしていきたい。
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